夜の空気は今ではかなり冷え込んできた。夫は、未だ帰って来ない。いつものことだが、寂しさは、なかなか慣れてはくれない。夫とは、大学の同じサークルで親密な関係になり、お付き合いが始まり、大学卒業後流れに任せるように私達は、結婚した。結婚式はこじんまりとしたものだった。高校、大学の友人達数十人に集まってもらいお祝いしてもらった。「二人仲良く幸せになれよ」とありふれたお祝いの言葉に涙したことを覚えている。
私達は、夜空を眺めるのが好きだった。東京では、ほとんど星はみえないが、月は私達を照らしてくれた。月の夜空のしたでよく話をした。
「都心から少し離れたところで家を買わないか」と夫は唐突に話始めた。八王子あたりはどうだろう、勤務先から遠すぎるんじゃないと私は、答えた。夫の職場は文京区だ。八王子だと一時間以上かかってしまう。負担にならないかと私は思った。三鷹あたりはどうだろうと私は答えた。三鷹なら文京区迄30分たらずで行けるわ。と言うと夫は、「じゃな三鷹あたりで物件を探してみる」と言い、そろそろ帰らないかというので私はうなずいた。
帰り道私は、子どもを作らない?とおもむろに聞いた。夫は「子どもはまだいいんじゃないか。二人だけの生活が心地いいんだ」と夫は答えた。私は、なにも言えなかった。私達は、結婚して十年。32歳になる私は子どもを生むには今なのになぁと思っているが二人の時間が居心地が良いといわれたら何も言えなかったし、嬉しくもあった。
三鷹あたりに良さそうなマンションを見つけ家を買うことに決めた。洋服を買ったり車を買ったりする感覚とはちがい家を買うのにはあらかじめ強い決心が必要だったが、夫は気に入ったから買うとあっさり契約してしまった。
私達は、三鷹に移り住み新たな生活が始まった。住み慣れた南池袋が、懐かしく思うようになった頃、思わぬ事が起こった。夫が珍しく早くに帰宅した。お湯を沸かしコーヒーを入れた。その間中夫はリビングのソファーに座りこんでいた。夫にコーヒーを渡すと一口飲んで、重い口を開いた。「福岡の出版社に転勤することになった」と夫は、私に申し訳なさそうに告げた。私は、気が動転したが、そんなそぶりを見せないよう心がけた。凛とした妻を演じたかったからた。
「どれくらいの期間なの」とさりげなく聞いた。二年契約なんだと夫は答えた。「家を買ったばかりだし俺は単身で行こうと思っている」と言って冷たくなったコーヒーを飲んだ。
この家を売って私も福岡についていくと言ってみた。夫は、この家を売るのは反対だった。たったの二年だ。週末には毎週帰れるように会社の計らいもある。単身赴任でも構わないかと聞かれたから戸惑いもあったが、平日は残業で深夜帰りばかりだし、週末帰って来てくれるなら、平日夫の帰りを待つのもさみしいものだからなぁ。そんな思いもあってか私は、三鷹に残ることに決めた、
別々の生活が始まり、週末夫が私のところに帰って来ることが、待ち遠し日々が続いた。
三鷹に帰って来たときは、夫の大好物な料理をふるまった、日頃は、自炊かコンビニの弁当だからお前の手料理が恋しかったと言って美味しそうにたべている姿をみて心から微笑んだ。幸せを感じた。
こんな幸せが壊れていくとはいまはまだ知る余地もなかった。ある週末夫は三鷹に帰って来なかった。連絡すると仕事が忙しくて休日出勤なんだと夫は答えた。今月は帰れないと告げられると私の心臓が悲鳴をあげた。心臓が縮むような感覚に陥った。仕事だから仕方ないと言い聞かせた。
不信な思いが私の感情をかきみだす。なぜでしょう。夫を信じているのに。週末帰れるから単身赴任を受け入れたのに。私は、明後日の土曜日の夜に着く福岡行きの航空券をネットで買った。いてもたってもいられなくなったからだ。私は感情に身を任せた。でなければ潰れてしまいそうで。
私は、福岡に夜8時に着き夫の赴任先のマンションのインターフォンを鳴らした。少しドキドキしたが夫をびっくりさせてやろうとイタズラ気分だった。インターフォンを鳴らして応答はなかった。本当に仕事なんだと安心したし、夫を疑った自分を攻めた。
しばらくエントランスで立ちすくんでいると夫が少し背の高いグラマーな女性と手を繋いで現れた。私は、気丈に振る舞うことばかり考えた。そして二人に問いかけた。「あなた達は何してるの?」怒り心頭だったが冷静に尋ねることができた。夫は黙りこみ、女性は「では私は此処で失礼します」と逃げるように帰って行った。夫は買い物袋を持ったまま固まっていた。まるで時が止まったかの様に。
私は、夫と近くのファミレスへ入った。どうしてもあの女が居たマンションに入る気かしなかったからだ。
夫に問い詰めた。あの女とはどんな関係か。夫はただの同僚だ。単身で東京から来てるから食事を作りに来てくれただけだと言う。「あら、あなたは同僚の方と手を繋ぐんですね。」白々しい夫の言い訳にあきれた私は、注文したコーヒーを飲みながら向かい合った夫の足を蹴った。夫はびっくりしたようすでまた下を向いた。
私は、夫に裏切られた。まさかの行為だ。夫はコーヒーには手をつけず正直に話始めた。寂しさを埋めるものは他にはなかった。単身赴任は、思いもよらずさみしいものだった。そこに彼女の存在が現れた。それに甘えてしまった。君を裏切るつもりはなかった寂しさに負けた。本当に申し訳ないと思っている。と謝罪を繰り返した。
私は、今は許せないが、夫と離婚するつもりはない。しかし、このまま単身赴任を続ければ、あの女が夫の世話をするのは間違いない。そうにらんだ私は、あの女を排除する方法を考えた。夫はまだ俯いたままだ。これ以上夫を攻めても意味がないと思って攻めるのをやめた。東京に戻ってこれからのことを考えるといって夫とはその場で別れた。私は、博多駅近くのホテルに泊まり、さっきあった忌々しい現場の事を、思い出していた。
私は、二人が手を繋いでいるあの姿が頭から離れないでいる。なにもない関係ならば絶対手は繋がない。異性の友達だって手は繋がない。手は繋ぐ行為は親密さを物語っている。一筋縄ではいかないかもしれない。と私は思った。あの二人の関係がすぐに破綻するとは思えないと言うことだ。どうすればいいかわからなくなった。きっとあまりにも衝撃的な場面に遭遇したからだろう。悩んでも夫の浮気したという事実は消えることはない。時間がたつにつれ夫は浮気しているのだということを受け入れ始めた。浮気といえば探偵だと頭にすぐに浮かんだ。
あくる日私は、ネットで福岡の探偵社に相談することにした。探偵社の相談員に事情を話したらまた怒りがこみ上げてきた。相談員の彼は冷静に対応してくれた。調査を行い浮気の証拠をとり、浮気相手に慰謝料請求しましょうと彼は言ってその方法、手段を説明してくれた。調査は修復の為に行いましょうと言う言葉が私を救ってくれたのだ。
調査はお任せします。修復するためにアドバイスをお願いし、調査料金100万円を支払うと私は東京へ戻った。
探偵の言う通り夫とは、何もなかったように、許していないのに許した振りをした。三週間程たって探偵から連絡が入った。証拠がとれました。女の素性もわかった。とのことだった。私はここからが勝負だと身を引き締めた。
私は調査情報に記載されている女の住所へ向かった。女とは口論になる覚悟でいたが話し合いは、すんなりと進み、慰謝料300万を請求した。後日振り込むことを書面にし、約束を交わした。女は夫のことを愛していたのだろうかと思ったが、今さらそんなことは関係ないことだ。
夫は正妻である私の愛情、そして怖さを思い知ることとなった。それ以降夫は毎週末三鷹のマンション、私のもとへ帰って来るようになった。
それで、私は受け取った慰謝料でヨーロッパへ一人旅することにしたのです。ファーストクラスでね。
